第34回





●カサンドラ高校





 子供の頃から乗物酔いがひどかった。
 遠足や旅行は楽しくて好きだったけど目的地に行くまでの移動手段を考えるといつも鬱になった。乗用車、船舶、飛行機、どれもダメだが得にヤバかったのはバス。あの車内の匂いを嗅ぐだけで気絶するほど気分が悪くなり、時によっては胃液の全てを吐きまくり悶絶するほど苦しんだ。小学校の遠足では一番前の席を2つほどキープ。そこに寝転ぶことで酔いをやわらげ、匂いを遮断するため鼻と口にかけては手拭いを巻き付けての過激派スタイル。バスガイドさんからは「殿様」と呼ばれた。乗車中は常に自分との戦い。窓から景色なんか見てる余裕はないし話かけられても困ってしまう。楽しい場所が天国だとすると、そこに行くためには地獄を通過しなければいけない。そんな感覚だった。

 それは高校受験をむかえる時でも完治していなかった。志望校を選ぶ段階で真っ先にうかんだことは自転車で行けるところ。比較的、電車だけは大丈夫だったが自転車通学に勝るものはない。偏差値がどうのとか都立とか私立とかはあまり気にしなかった。
 担任の先生との進路相談でも薦められた学校は全て拒否。レベルを下げてでも自転車通学できるて男女共学のところを希望した。高校なんてどこでも一緒じゃん。というのが頭にあったが男子校となると話は別。男だらけのところで3年間も過ごすことは不健全だし夢がない。そう思いリストから除外した。

 そうなると消去法で行ける学校が絞られてくる。学校案内のパンフレットを取り寄せイメージと照らし合わした。やっぱ学ランがいいな。プールがある方がいいな。とか色々あったが、できれば新体操部がある学校に行きたかった。それは自分でやりたいからじゃなくて、単に、あの躍動する肢体に異常な憧れがあったから。「ナディア・コマネチ」が悪いのか「あだち充」が悪いのか、または当時ベストセラーになった「アクションカメラ術」に洗脳されたのか。何がそうさせたのかは分からないが、体操着やレオタードを着てスポーツしている女子に何とも言えない美を感じた。

 ターゲットが決まった。ここなら自転車で50分もあれば行けるだろう。女子はブレザー男子は学ラン。これも問題ない。プールがないのは残念だが体操部があるし妖精に会えるに違いない。なんといっても校則があまりうるさくなく“自由”を売りにしてるところが気にいった。そこはみんながスベリ止めに受けるような学校だから友達もたくさん受ける点も頼もしい。
 試験は数分で終わった。あまりに簡単だったので3回見直して、ほぼ100点に近い点数で絶対合格の手ごたえ。なんの不安もなしに合格通知を手にした。

 楽しかった中学生活。振り返ればとても充実した日々だ。文化祭、体育祭、部活動に合唱コンクール。記憶の中のアルバムには数えきれないほどの想い出ができた。できることならあと3年間、高校生活まで変らぬ面々で過ごせたら。と思いながら卒業式をむかえた。「人生には別れがあるんだよ‥‥」と、学年担任の中で一番怖かった先生が泣きながらいった言葉が印象深い。



 今日から新しい生活がはじまる。気持ちのいい朝だ。通学用に買ったおニューのママちゃりに乗り颯爽と出かける。カゴには学校指定のスポーツバック。学ランのボタン、校章にはカサンドラ高校の頭文字「K」がはいっている。腕には入学祝いにもらったデジタル時計。運動靴から革靴に変りなにもかも新しい気分だ。クラスメイトはどんなヤツらなんだろう。中学に劣らず可愛い子がいるといいな。とか、ペダルを漕ぐ足も軽妙に風をきって進んだ。

 学校のグランドが見えてきた。緑の匂いがする。グランドの先には校舎にはいっていく生徒達が金網越しに見える。期待に胸が高鳴ってきた。その時、前を歩くひとりの男子生徒が目にはいった。
 頭髪は逆三角形のスーパーリーゼント。中ランにボンタン。先のトンガッタ革靴を穿き、教科書など一冊も入らないようなペッタンコの革鞄。煙草をふかしながらダルそうに歩いている。なんだコイツは。いきなり学校一の問題児と遭遇か。追い抜きざまに校章の色を見るとオレと同じ一年生。躊躇なく人を刺せそうな目つきで舌打ちされ、少し嫌な気分になった。

 まあ学年の何%かはこういう人種がいるのは自然のことだ。気分を取り直して横断歩道をわたり一気に校門に滑りこむ。すると、いきなり思いもよらぬ映像が目に飛び込んできた。オレは正門の前で自転車を停め、その殺伐とした光景に息をのんだ。
 下駄箱にむかうどの生徒も改造学生服に身を包んだ強面の不良ばかり。短ラン、長ラン、ドカンに寸胴。サラシを巻いてるヤツもいる。女子のほぼ全員はスケ番。くるぶしまで隠れるようなロングスカートを引きずり、妖怪のような顔つきでツバを吐きながら歩いていた。眼帯してる女もいればマスクに卍が書いてあるヤツもいる。ペッタンコ鞄をよく見ると様々な暴走族のステッカーや日章旗が輝いていた。

 これがオレの同級生‥‥?

 迷路の行き止まりのようなコの字の校舎。その2階と3階のベランダにも、おびただしい数の不良集団。電線にとまるカラスの群れのように威嚇した目でこちらを見下ろしている。なんだここは。不良しかいないじゃん。一学年300人とすると全校で900人近い不良がいることになる。
 もしかしてノーマルの学生服なんか着てるのはオレだけなのか。自由ってこういうこと?。とんでもない学校に入学してしまった‥‥。ていうか、ホントにここがオレの通う高校なのか。イヤな汗が全身から吹出しワキから雫となって流れ落ちるのを感じた。なにかの間違いであってくれ。門にある学校名を再確認していると、2階のベランダにいる飛切り頭の悪そうな上級生が、オレの心情を代弁するように天にむかってこう叫んだ。

「ここは地獄だあああッ!」

 その一言でこれからの3年間がどういうものか想像できた。抱いていたイメージはダイナマイトで爆破されたビルのように崩れ落ちた。凶暴な人喰いサメの集団に一頭のイルカが混ざったような感覚だ。学校全体からはデンジャラスな血の匂い。得体のしれぬ邪気も感じる。校舎が刑務所に見えてきた。何も悪いことはしてないのに‥‥。
 いや、悪いことがあった。それは頭が悪いことだ。よく調べもしないでヘンテコな理由で学校を選んだオレの頭が悪い。こんなところに妖精がいないことはすぐに理解できた。妖怪のレオタード姿なんて見たくもない。これからする入学式が卒業式ならいいのに、と思った。
   




おわり