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宮崎駿のアニメといえば、「もののけ姫」ではあまりの観客動員数に圧倒され、アマノジャクな私は「アニメごときが生意気に」など観もしないで訳のわからぬことを思っていた…。が、いざ観てみれば、バカにしていた自分を少し羞じたものだった。んなわけで、今作の「千と千尋の神隠し」は無垢になって素直に観よと思った。
ぬるま湯の中で生活をしていた10歳の少女千尋。彼女はふとしたことから、両親と共に不思議な領域に入り込んでしまう。そこで神聖な場所を汚してしまい元の世界に戻れなくなり神隠しにあってしまう。そこに待ち受けていたのは、欲望や罠といった10歳の少女では今まで経験しえなかった大人社会の縮図だった。
ここでいう大人社会の代名詞が、強欲で支配的な湯婆婆になるわけで、彼女には双子の姉妹で銭婆という人物がいる。湯婆婆が「悪」のイメージなら、銭婆は温厚で思量深い「善」のイメージになるわけだが、思うにこの二人実は同一人物なのではなかろうか?
銭婆は善の代名詞のわりに姿形、ゴッツい指輪に至るまで湯婆婆と同じ。とても質素な暮らしをする人の風体ではないし、湯婆婆は大切な「坊」という子まで置いて夜はどこぞへ帰っていく。千尋が銭婆と会ったのは夜のことであったし。要するに、善と悪とは表裏一体ということを伝えたい感じがするだが……。そもそも神とは災いをもたらすもの。それを止めようと人間は神を祭る。神とて、捉え方次第では善にも悪にもなると……。
千尋は少女の純粋な部分に助けられ、それらに囚われることなく“愛”という力でそれらに打ち勝って元の世界に戻っていく。
っと単純に話を要約するとこうなるが、まぁ良くできた話ではある。
2時間強という長丁場を感じさせない出来になっていたし、舞台となる湯屋はノスタルジックな日本と一昔前の香港をミックスさせたような雰囲気で、私の心を鷲掴みにしたし、八百万の神々が御馳走を食べて薬湯に浸かり疲れを癒すという設定も、面白いところを突いてきたなぁ〜と思った。登場人物もこの世のものではないモノ達の風体が、主人公千尋のこの世のものとの対比率の違いもよかった。
しかし、随所に感心させられる演出はあったものの、何故か物足りなさを感じたのも否めない。「もののけ姫」の時も、なんだか「ナウシカ」の焼きまわし的みたいなストーリーだなぁ〜と思ったが、今作はソレとはまた違った感があった。
前半のドキドキ感が、終盤になるにつれゆるいホンワカ感に転じて薄れていくような感じがあった。人間を嫌っていたはずのモノ達が、ラストは大手を振って千尋を応援するところも少し解せない。
しかしながら、宮崎駿という人は少女が天空を舞うというシーンがとても好きなようである。ほとんどの作品で観られるのではなかろうか? 幾分しつこいような気もするが、それは、彼の“夢”の象徴でもあるのかね〜?
……あまり、些細なことを気にするのもよくないし、素直な気持ちで観ようと思った初心に戻って、見終えてよかったと思う点をもう少し書こう。 映画前半、千尋がなにげに見上げた空に、白竜が湯屋から飛び出したように天空を舞うシーンがチラリと映る。千尋が助けたドロドロの怪物が“どこぞの名のある川の主”で実は龍神であったということが、以前見かけた白竜は龍神であったのか? というロジックが後々効いてくるところがなんともよかった。
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