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フランス映画とくれば、掴みどころがなく、理屈っぽく、暗い、というイメージがどうしても先入観として私の中に植え付けられていた。『アメリ』を観始めの前半は、そんなイヤーな予感さえしていた。だが、後半それらが一掃され予感はどこかに吹き飛んでしまった。
『アメリ』は人間関係に不安を持つ空想癖のある孤独な女性アメリの話だ。まぁ、現実的に考えれば、そういった人間不信を、育った環境や他人に責任転化し犯罪に転じてしまいがちであるが、この映画はそうはならない。 アメリの場合、あるキッカケを持って突然世界が開け、なんでも出来るような気分になり、他人への“愛”に目覚め幸福を運ぶ救世主になってく。だが、いかんせん人間関係をうまく築けないため、それらは間接的で、冒頭のシーンに出てくる子供の頃に興じていた一人遊びの様にしかできない。アメリが唯一心を開く“ガラス人間”と呼ばれる老人に、この間接的なイタズラを“卑怯”だと言われて、アメリは初めて自分がなにも変わっていないことに気付くのだ。そして、初めて失いたくないものを目の当たりにして、やっと直接的に人間関係を築くことが出来るようになる…
登場人物紹介のナレーションでは、その人の癖や好き嫌いを説明する。個性豊かな俳優人も手伝ってか、かなり変わり者揃いのような気もするが、実は人間誰しも他人から見れば変わり者なのかもしれない。 人間に対する好き嫌いなんて、自分の長所や短所に合うか合わないかの問題だと思う。誰かが“人の性格とは第三者の主観で決まる”と言っていたが、なるほど、そういうモノなのかもしれない。
監督は「デリカテッセン」を撮った人で、とても“濃ゆい”というイメージがあるが、アメリの場合はその“濃ゆさ”がイイ具合に出ていて、より洗練された感じになっている。 インスタントフォトの謎の人物が、何者であるかなどの演出もグッと観客の心を捕らえていただろう。謎が解けた時、「なるほど!」と声を出してしまったくらいだ。ラスト付近のアメリの愛情表現もウマい。ニノに対しての口づけは、まるで母親が我が子に対する時のように純粋なもので、きっと愛情が薄く育ったアメリが今まで待ち望んでいたことなのだろう。
その他に、アメリが働くカフェのマダムが、清川虹子にそっくりなことと、八百屋の店主からいつもイジメられている、ドンくさい店員が少年隊の植草克也にそっくりなことに気付いた時は少し得した気になった。
観終わってからしばらく経つと、また観たくなるような映画だった。
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