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なんだ、この一体感は…正直そう思った。
配役・音楽・歌詞・歌唱力・演技……。演じているという感覚ではない。……調べてみるとこの映画、オフブロードウェイの大ヒットミュージカルの映画版で、ほぼ全員が舞台から引き続き映画でも出演していた。しかも、監督は脚本・主演もこなしているのだ。……ということは、場慣れしていて当然か。
しかし、主人公ヘドウィグ演じるジョン・キャメロン・ミッチェルのキッチュな顔は、ヘドウィグの他人から見れば滑稽にも写る半生を映し出しているかのようだし、体つきも女と見まごうばかりにキレイで見事としかいいようがない。ことさら、音楽は素晴らしい。ロックが衰退した今、この映画でこんないい音楽が聴けるとは思ってもみなかった。グラム・パンク・カントリー・バラードなどがちりばめられており、音楽だけでも十分にこの映画を堪能できた。観終わってすぐにCD屋に駆け込みたい衝動に駆られた程だ。
物語の主人公ヘドウィグは封建真っ只中の旧東ベルリン生まれ、ロックスターを夢見、“自由”との引き替えに性転換手術をしてまで“女”になりアメリカまでやって来る。しかし、他人に翻弄されもてあそばれてしまい、傷心のヘドウィグは、ロックバンドを率いて自分の半生を売り物に歌を歌う。 その歌と語りによってほぼ全編が構成されている。 プラトンの「饗宴」に登場する神話“かつて、人間は3つの性を持っていて、4本足、4本の腕、2つの顔を持った生き物だった。その時はまだ“愛”は生まれていなかった。しかし、人間の業のため神はそれを2つに引き裂いてしまう。その時受けた痛みや、片割れを追い求める想いが“愛”となった…”という『愛の起源』が物語の重要なキーワードになっている。 ヘドウィグは、その“自分の片割れ”を不器用ながら自分に正直に追い求めていくのだ。
ここで特筆すべきは、バンドのメンバーでヘドウィグの飼い殺し状態の現状の夫 “イツハク”の存在である。重要な人物だ。ヒゲを蓄えたロッカーの彼を、とても素敵に化けてはいるが、声の質から女性が演じているということはわかる。 キャストを見ると、やはりミリアム・シェアという女優が演じている。少々わかりずらくなっているが、女性の声が欲しくて女優が演じてはいるが、“ドラッククイーンを夢見る男性”という設定だという。 これを認識していないと、ラストでのストーリーが微妙に違ってくるので要注意だ。
ラスト付近で、ヘドウィグから歌を盗んで逃げていきロックスターとなったトミーに「天には空気しかないんだ、君が思っている運命で結ばれた恋人なんて存在しない」とヘドウィグは諭され、我に返る。 すると、薄暗かった場面が急に純白になり、ヘドウィグはいつの間にかトミーのような姿になり、いつも付けていたカツラをイツハクに捧げる。すると、イツハクはヘドウィグの姿に変わる。 ヘドウィグがトミーに、イツハクがヘドウィグに変わるのだ。 そう、自分の本来なりたかった姿になる。そして、ヘドウィグの引き裂かれた人間の刺青は、ラストで薄汚れた街を歩くシーンには一つになっている…。自分が立派な一人の人間であることを悟ったかのように…。 しかし、その姿は満たされたというよりはその反対に妙に寂しく写っていたのが印象的だった。
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