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昨年末あと一回このコラムを更新し、読んでくださっている方々へ感謝の気持ちなどひとこと書くつもりだったのにサボってしまいました。新年早々去年の話をしては鬼がすすり泣くというものですが、ありがとうございました。
メールなど頂くと(当WEB宛に下されば大丈夫です)もうそれはそれは喜んでいるのですよ。 本年もどうかよろしくお願いします。
さて昔、明石家さんまと格言・ことわざの問答をしていたジミー大西は 「ひとのフリ見て?・・・」
と問いかけられ何の躊躇もなく 「どないすんねん」 と答えた。 ひとの真似して何になる。
孤高の天才にふさわしい名言である。 何かと好きな人をうわべだけ真似てはその人に近づいたような気分になってしまう私にとって耳の痛い言葉。
でも物事を始める際に 「まず模倣から」 というのもひとつの有効なやり方である。 スポーツをやるときなど、上手な人のフォームを真似ることは大切だ。
私の場合スポーツはモテるための手段なので(でもモテたことはない)フォームを気にするのは上手になるためというよりカッコよく見られるためだが、たとえイメージ先行であっても上級者に少しでも近づこうと努力するのは悪いことではない。
少年野球をやっていたときは 「野球入門」 のページの隅にあった 「バッティングフォームのパラパラ写真」をバカみたいにパラパラパラパラやって目に焼き付けた。
そのイメージをキープしたまま庭へ出てバットを持ち、縁側のガラスに映った自分でその美しいバッティングフォームを再現してはうっとりしたものだ (しかも自らによる実況・解説つき。
その中ではたいてい逆転サヨナラホームランを打ち、やがて江川のいた法政大学 → 巨人軍へ進むというサクセスストーリー) 。
テニスを始めたときは、当時少年ジャンプに連載されていた 「テニスボーイ」 を参考にカッコいいサーブを練習した。 やがて 「エースをねらえ!」
の放送が始まると “藤堂さん” に釘付けになった。 あのマンガもわりときれいなフォームで描かれていたので真似するのだが、それにとどまらず 「西高(私は西中)」
でテニス部、そして生徒会長 (注:私の場合は勉強ができるとか人望が厚いとかではなく、担任に「誰もやらねえからおまえやれ」 と脅迫されたもの)
と何から何まで自分と藤堂さんは一緒だったものだから 「何でオレのことを知っているんだ」
というノイローゼ気味の思い込みにまで発展 (悪化) し、一層藤堂さんを自分に重ね合わせて美しいフォーム作りに励んだ。 私がサーブをすると花びらが舞うような気さえした。
その後ビリヤードに凝ったときも、ゴルフ (打ちっ放しだけ) にホンのちょっと手を出したときも、とにかく 「カッコいいフォーム」 にだけ固執した。
私は泳げないのだが、たまに泳げるようになった夢を見る。 これが気持ちいい。 で、その夢の中でもハッキリとクロールの腕の出方を 「いいよカッコよく出てるよー」
と意識するし、平泳ぎは水泳選手がやるような全身がピーンと伸びる 「ホンモノの平泳ぎ」 を意識する。 もうとにかく大事なのはフォーム。 フォーム憎けりゃ袈裟まで憎い、間違えた、フォーム良ければ全て良し、だ。
しかし、何度やっても、どうしてもサマにならない、フォームがキマらないものがある。 それはスポーツではない。 簡単に見えるのに、もう30年以上やっているのにカッコ悪いのだ。
しかもそれがキマらないのは日本人としてどうかと思ってしまうこと。 それは 「お葬式やお参りの所作」。
仏壇の前で正座し、手を合わせる。 それだけのことなのに 「脇の締め具合」 「手のひらの位置」 「手の合わせ方」 、どれもしっくりこない。
アゴ・手のひら・ヘソを結ぶ 「合掌トライアングル」 をどう描けば一番美しいのか考えていろいろ試すのだがどんどんわからなくなってくる。
お葬式に参列して遺族の方に一礼、焼香台の前で一礼、お焼香をひとつまみして顔の前にかざし香炉にくべる。 遺影に向かって手を合わせ再び遺族の方に一礼。
それら自分の一連の動作がどうもロボットダンス風のような気がして、心の底から冥福を祈らなければならない時に不謹慎にも一瞬 「ああカッコ悪いぞオレ」
と考えてしまうのだ。
初詣。 場所によって作法は様々だが、賽銭箱の後ろにはちゃんと 「二礼、二拍手、一礼」 などと書いてあるところがある。 「今年こそキメるぜ」
と誓って背筋も東海林太郎のように伸ばすし視線にも気をつかう。 なのにやっぱり外人のおじぎのようにギクシャクして、お願い事を念じている一方で同時に
「ああまた失敗だ」 と頭の中で言ってしまう。
この場合、手本にすべき 「カッコいいフォームの持ち主」 は 「ジイさんバアさん」 だ。 年の功からか、信心深さからか、その動作は流れるように自然でカッコいいし、
願い事がとても純粋に神仏に届いているように見える。 「あのフォーム、イカす」 というジイさんを見つけると、真似して手のひらを少しずらして合わせてみたり、手のひらを少しこするようにしてみたり、合わせた手をちょっと体から遠ざけてみたり。
なんなら何事かモゴモゴつぶやいてみたり。
なのに、いくら素敵なフォームを研究し再現したつもりでもなんだか私のは不格好で 「ジジイにはかなわねえ」 と痛感する。 ああ、きれいなフォームになりたい。
一刻も早く 「あの人、若いのにステキなご焼香するわね」 とか 「あいつ、初詣がうまいよな」
と思われたい。 こうなったら少しでも回数を重ねるしかないのだが、お葬式はあって欲しくないものなので暇を見つけては寺社に立ち寄ってみようかとさえ思うのである。
「いいフォームが身につきますように」。 今年の初詣では家族の健康を願いつつこれもお願いしてしまったかも知れない。
蛇足:初詣といえば、数年前鎌倉の鶴岡八幡宮に行った時。 人が恐ろしく多いので本殿はあきらめてお守りだけを買おうと脇を通り抜けて食堂に入ったら、本来はいけないのに持ち込んだ料理を堂々とテーブルに広げて団らんしていた家族がいた。
しかもインド人。 インドの正月は何を食べるのかと覗いてみるとそれはカレーだった。 わざわざ日本を代表する初詣の名所に来て、やっぱりカレー。
カレーもいいけどおせちもね。
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