読みが外れる女
 子供の時、「♪ あなたが望むなら」 で始まる山口百恵の 「青い果実」 という歌の一節 「いけない娘だと噂されてもいい」 のことを 「いけない娘だと うわ 刺されてもいい」 だと思っていた。 いけない娘だというだけで刺されてしまう残酷物語。 誰に。 刺される瞬間も 「うわ」 としか言わず、「これでいい」 と納得しながら倒れていく百恵ちゃん、腹が据わっている。

 このような勘違いに心当たりがある人はごまんといるだろう。 言葉を知らないというのは恐ろしいもので、笑い話で済めばいいがとんでもない恥をかいてしまうことだってある。

 最近は 「日本語クイズ」 的な番組が花盛りだ。 一般人ではなく芸能人ばかりが出演する今のクイズ番組は 「珍解答を笑う」 のも大事な要素になっている。 だから無知や勘違いからくる笑いを期待して問題を吟味するか、解答解説を工夫して視聴者の 「恥はかきたくない」 という心をくすぐらねばならない。 単に「さて問題です」「正解はこうです」 だけではあまりにも能がない。

 日本語クイズに欠かせないもののひとつに 「漢字の読み」 がある。 自分の国の言葉を読めないかも知れないというのは(貧困等で充分に教育を受けられない国や地域は別として) 日本語に特有の現象なのかも知れないから問題として欠かせないのはもちろんだが、解説などしようがなく 「こう読みます」 でおしまい。 そこで気をつけなければならないのは問題の選び方である。

 その番組が別に 「腕に覚えアリ」 の面々が知識を競うものでないのなら 「知らなくても考えればなんとかたどり着ける」 問題を出さなければ参加者は手も足も出ない。 「亜米利加」 「英吉利」 「仏蘭西」 にはなんとかたどり着けても 「桑港」 と出題されて 「正解は『サンフランシスコ』です!」 なんて声を張られたってお笑い芸人でもリアクションの取りようがない。 「知らねえよそんなの」 でもある意味正解だろう。

 日本の漢字には 「訓読み」 と 「音読み」 があること、それから 「復・複・腹」 のように 「似ている漢字は同じ読み方ができることが多い」 ことを駆使すれば正解する可能性があるような問題(または勘違いしてとんでもない誤答があることが予想できる問題)を選ぶことが肝心。 答える側はそこを足がかりにする。

 かつてほんのちょっと塾の講師をしていた。 テスト対策の臨時スケジュールの時、専門外の国語を教えるハメになりやはり私も 「漢字の読みの問題はたとえわからなくても空欄にしてはいけない。 自分の知っている読み方や似ている漢字の読み方を組み合わせてでも、とにかく埋めること」 と教えた。 そしてテスト当日。

次の下線部の読みを書きなさい。
・ 現状を 打破 する。

 ひときわ背が小さく、臨時授業の時には最前列で私の顔を見て大きくうなずいていた女子生徒の解答用紙には申し訳なさそうな字でこう書いてあった。

・ 「うひ

 「つ」 と 「破」 の 「」に目をつけました。 現状は笑って切り抜けろということかも知れない。 その子は先生の言いつけを守ってベストを尽くしてくれたのだ。 採点をしていた職員が他の職員に 「これ見てください」 と回覧した際、笑いも起きたがそれは嘲笑ではない。 健気に頑張っている姿が浮かび皆口々に 「かわいいー」 と呟いて目を細めたのである。

 その子はたまたま正解することができなかっただけで、私たちだって知らない漢字に出食わしたときは同じ方法で読もうとする。 正解できるかどうかはわりと運次第。 ただ、運が悪かっただけでは済まない 「勘が悪い」 人がいる。 みなさんの周りにもいないだろうか、人の氏名や地名をよく読み間違える人が。

 しかもそういう人がすごいのは、数あるチャンスにおいて 「正解をことごとく外す」 ところである。 たまには当たればいいのに、わざとやってるのかと思うくらい外れるのだ。

「昨日のドラマで『ないとうごうし』がさあ・・・」

 「内藤剛志」 から 「ないとうたかし」 は確かに難しいかも知れない。 知らなければ読めないと言ってもいいだろう。 しかしせめて 「たけし」 に行けないものか。 なのによりにもよってちょっと考えれば 「そっち行っちゃダメ」 とわかりそうな 「ごうし」 へ踏み入ってしまう。 しかも声には迷いがない。

 初期の 「VOW」 に 「変読」 という、有名人の名前をわざと面白おかしく読んで遊ぶコーナーがあった。 「郷ひろみ」 を 「ふるさとひろみ」、「若林豪」 を 「わかばやしオーストラリア」 と読むのは忘れられない不朽の名作で、いまだに私はそう読んでいる。 しかし 「珍読名人」 は何のケレンも屈託もなく珍解答をひねりだしてしまうのだ。 バカにしているのではなく純粋な好奇心から“どういう思考回路なのだろう”と興味は尽きない。

 知り合いの女の子が、近所にある温泉施設 「御前(ごぜん)の湯」 についてこう言ったという。

 「ねえ、『おまえの湯』行った?」

 言われた方は思っただろう、わたしのじゃないよ、と。 おまえの湯、俺の空。 その子は珍読名人として定着しており、別の機会にその子の話題で

 「女優の余貴美子のことを『よ きみこ』だって。 よっ!きみこ!日本一!」

 とメールをくれたのはその子の親友だ。 じつはこれ 「よ」 で正解なのだが、長きにわたってコンスタントに珍読を重ねた名人はハナから 「どうせあの子は間違えてる」 という手堅い評価を得ており、実は正確な読みを知らなかった聞き手に 「あの子が『よ』と言うなら『よ』じゃないはず」 と思わせるに至っているのである。 珍読名人は正解までの道のりさえ曲げてしまう。

 固有名詞には独特の読み方もある為 「知らなきゃ読めない」 も多々あることで、むしろ私は珍読名人達の堂々と伸びた背筋を素敵にも思う。 そばにいてね。 ただ“漢字の読み”に関して気懸かりなのが 「最近子供の名前がすごいことになっている」 点だ。 パパママ、その名前大人になっても大丈夫か。 はっきり知らないが使っていい漢字であれば読み方は自由なのか。 それ放置していいのか。 そもそも 「正解」 がとんでもないことになっているんだもん、そういう 「どうせ読めないやという名前」 が名人達の 「果敢に読もうとする意欲」 を萎えさせないよう祈る。 最後は淳子のお願い。