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ながーいともだち
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先日床屋へ行って髪を切ってきた。 もう13年くらい通っているところで、しかもここ5年程はほとんど髪型も変えていないので
「いつも通りで」 とだけ伝えた。 なのにできあがりがいつもより短い気がする。
これまで 「いつも通りで」 と言っても必ず思ったより短くなるので、ある時 「いつもよりもちょっと長めで」 とお願いしたところちょうどよかった。 じゃあ、と思って次の時には 「前回少し長めでやってもらったんでそのくらいで」 と伝えるとまたちょうどいい。 その次からはしばらく 「ここのところちょっと長めでやってもらってるんでそのくらいで」 と伝え、いずれもいい具合だった。 もういいだろう、もうそろそろこれまでの 「ちょっと長め」 が今の私にとっての 「いつも通り」 だとわかってくれている頃だろうと思い、自信を持って 「いつも通りで」 と言ったのに 「以前の通り」 になってしまい、この先どうしたらいいものか、と思案に暮れている私です。 もうすぐ40歳である。 できることなら髪型のことなんか気にせず 「髪型じゃない。 オレそのものを見てくれ」 と言いたいのはやまやまだ。 似合うのならいっそ坊主にでもスキンヘッドにでもしてしまいたい。 しかし私は後頭部が出っ張っていて、それを 「外人みたいですね」 と褒められたこともあるが、それがいいのはあくまでも欧米人のように彫りの深い顔立ちだからこそ。 私のような東洋人丸出しのどろんとした顔にこの後頭部では坊主が似合わない。 きっと “仕事覚えの悪い丁稚奉公” のようになってしまう。 この先どうやって年齢相応で、でもくたびれてはいない男の髪でいられるか悩んでしまうほどこの頭の形と顔立ちはやっかいだ。 もう24年も前。 全員強制で坊主頭だった(今考えるとすごい事だなあ)中学校から、やっと髪を伸ばせる高校へ。 一部を除いて、ほとんどの同級生が坊主強制の中学校から集まってきた、伸びかけ坊主集団。 しかも思春期まっただ中でもあるから当然 「どんな髪型にするか」 に関心を寄せることになる。 スタイリッシュな理・美容室、その最新のカット・パーマ技術、様々なヘアスタイルが掲載された雑誌、いろんなタイプのワックスなど細かなニーズに対応した整髪料。 当時の私たちからすれば今は夢のような時代だ。 あの頃、ハードにもソフトにも(←合ってるかこの表現)恵まれぬ中、モテる髪型を夢見てあの手この手の工夫を凝らし、ニキビ面の高校生達は必死だった。 いたなあ休み時間のたびにトイレで鏡見てるヤツ。 折しも近藤真彦やチェッカーズ、吉川晃司らの全盛期。 「ザ・ベストテン」 で彼らの新しい髪型を見るたびに田舎の高校生は 「これだ!」 と目を輝かせたものだ。 こぞってマネをしたくなる。 今はこんな田舎でもカッコイイお兄さんお姉さんがガラスの向こうでシャシャシャシャとハサミを操り、建物もステキな理・美容室が至るところにあるが、当時私たちがテレビで観たモテモテ間違いなしの髪型目指して駆け込むのは近所のおじさんおばさんが夫婦で営む床屋さんであった。 きらんきらんした目で 「フミヤみてゃーにしてゃー(フミヤみたいにしたい)」と伝えられた当時の床屋さん。 青春のほとばしりにどう対処していたのだろう。 想像すると、さぞお手数かけたことでしょうね、とお礼を言いたくなる。 ガッツ石松の言葉を借りれば 「頭が上がります」 だ。 そいつのイメージの伝え方が上手だったのか、床屋さんの努力の結晶か、なかなかの仕上がりで学校にやってきたヤツは、教室に入るなり 「どこでやってもらっただ」 「朝はどうやってるだー」 と同級生に囲まれる事になる。 他校の女子生徒の間でも 「フミヤに似てる」 と評判が立ったりもした。 今考えると全然似てない。 そうかと思えば、伝え方が悪かった、床屋さんがフミヤを知らなかったなどの悪条件が重なったヤツだっている。 かわいそうに 「トップやサイドは坊主よりちょっと長い程度なのに、前髪と襟足だけが境目も鮮やかにいきなり長い」 という、前はお菊人形、後ろはジャンボ尾崎のような斬新なスタイルで、背中を丸めてこっそり学校へお目見え。 笑われるならまだ救いがある方で、場合によっては先生に 「おまえどうした?」 なんて心配までされてしまう始末であった。 私もある時、忘れもしない、翌日が遠足だという日だ、張り切って床屋へ行き、たしか植草克秀(少年隊の。「手鏡教授・一秀」 ではない)あたりをイメージして床屋さんに伝え、思い切ってパーマをかけてみた。 期待に胸を膨らませ、できあがりを鏡で見た時、白いカバーにくるまれたカラダがカーッと熱くなった。 そこにいたのはただのおばさんだったからだ。 家に帰ってくりんくりんの髪を必死に引っ張ってみたが事態はちっとも改善しない。 汗いっぱい出たなあ、「明日死んじゃおうかな」 と思った。 東京にいた大学時代は、オシャレさんでもなんでもない私も少し無理をして、店構えも見るからにカッコイイ、ある芸能人も来るという気合いの入った床屋(あくまでも床屋。 バイト先の近くにあった)に行っていた。 だからそれなりに満足していたが、問題は地元に帰ってきてからである。 その頃もまだ街の主流は普通の床屋さん。 結局高校生の時に行っていた店に通った。 しかしやがて限界を感じるようになる。 「若者がしたいような髪型がレパートリーにない」 ということもそうだし、何よりも最後につけられる訳のわからない整髪料のオッサンくさい匂いがイヤでイヤでたまらなかったのだ。 クルマも運転できるようになったことだし、一念発起して新規開拓を思い立った。 おしゃれそうな美容院にも一度だけ行ってみた。 しかし女性誌しかなかったのと、あの雰囲気にどうしても馴染めなかったので、男はやっぱり床屋だ、じゃあ若い人がやっている床屋を探そう、と思った。 ようやくワイルドな感じの店を見つけ、勇気を振り絞って飛び込んだのが現在も通っている店である。 金髪で坊主、ギロリと力のある目をした店主が最初はとても怖かったが、さすがに同世代。 イマドキの若い子たちも来ているし、研究熱心で、こちらが言葉不足だと具体的に聞き返してくれる。 とても居心地がいい。 13年通っているとはいえ、私は基本的に何もしゃべらない(寝てしまう)ので、作業は黙々と進む。 私は次第に自分の“されるがまま具合”がおかしくなってくる。 シャンプーの後に頭を拭いてくれる時、店主のタオルさばきのクセと私の頭の大きさ、顔のパーツの距離の関係でそうなってしまうのか、タオルの角の硬い部分が必ずまぶたにびしびしと当たる。 私は目を閉じたまま、タオルの角がまぶた越しに眼球を叩くたび 「・・・あっ・・・あん・・・」 と心の中で悶えている。 いつもこうなるのがおかしくて毎回甘んじて受けているプレイである。 なんなら私の顔はうっすら笑っているかも知れない。 顔つきからいって若い頃は相当やんちゃしていたはず、と勝手に私が思いこんでいる店主はとても腕が太く、力が並ではない(後に世間話の中でウェイトリフティング的なことをしていたと判明する)。 マッサージする時の力加減は絶妙なのだが、たとえ圧力が同じだったとしても「力がない人が必死でやっている」 のと 「パワーのある人が余裕を持ってやっている」 のとは違うのが何となくわかる。 頭をぎゅうう、と前後左右させて首すじを伸ばすマッサージの時などは、「この人が気を悪くするような事したらオレ殺されるなウフフ」 と無惨に折れ曲がった己の首を想像して楽しんでいる。 こうして快適な1時間は過ぎていくのだが、今回は仕上がりが短かった。 さて、次回からどうしたものか。 大体、前日にああもう床屋へ行かなきゃ、と思ったクセに、当日に限ってなぜか髪の毛がうまく整い、鏡を見ながら 「やっぱりもう1週間はいいんじゃねえか」 と思ったりする。 その心理のまま床屋へ行くから 「長め」 とか 「そろえる程度」 と言った時以外いつも短くされているように感じるものなのかも知れない。 どうせちょっとすれば 「やっぱりあの長さでよかったんだ」 と納得するのだろう。 今回だって1週間も経てば、見慣れた長さと最近めっきり目立つ白髪。 ハイ、ありふれた40男のできあがり。 意識したって誰も見てないの。 |