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♪きみがー望むならァ
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徹夜仕事からの帰り、朝早く歩いていると、ハトが 「ホッホー・フッフー」
と鳴いている。 疲れてヘトヘトなのに聞こえてくる曲や音にノッてしまう性質の私もホッホー・フッフーと心の中でハトに合わせる。 ホッホー・フッフー、ホッホー・フッフー(もう一回だ)ホッホー、とノッてやった時に限ってハトが
「ホ」 だけで止まる。 手玉に取られた気分だ。 でも朝のハトってラジオ体操を思い出す。 この夏、皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。
突然だが私は 「おでき体質」 である。 「できもの」 に 「お」 を付けたからって別に可愛くなるわけでもなく、それが生活する上で困るものだったら切除しなければならない。 高校1年の頃、左の頬骨の辺りにぷつんとニキビ大のものができた。 そのうち治るだろうと思っていたのに腫れが引かない。 なんとなく日に日に大きくなっている気がする。 その頃、異性をたっぷり意識して暮らしていた私は、顔にこんなものができたままでは実るはずの恋も逃げていくぜ、と思って近所の病院へ行った。 後輩の父親でもある先生は 「脂肪の固まりだね。取っちゃおう」 と言ってクレアラシルも乾かぬニキビ面に麻酔を打ち、メスを取り出して患部を切り、なんなく固まりを切除した。 縫うこともせずにテープを貼って処置は終わり。 同級生の母親でもある看護婦さんに 「お大事にね」 と見送られて病院を出た。 こんなに知り合いばかりの病院だ。 できた場所が水まわり(下腹部)じゃないのがせめてもの安来節、いや救いだ。 しかし、思えばこれが私とおできの長い付き合いの始まりである。 高校3年の頃、左太モモの表側に5ミリぐらいまたポコッとできた。 感触は柔らかめのゴムといった感じである。 別に痛いわけでもないのでこれも放っておいた。 しかしそれは大学の4年間で、以前に書いた痔の沈静化と反比例するかの様に徐々に成長していった。 社会人になり、左太モモのできものの成長は直径1センチ超で止まった気がしたのだが、今度は右の尻の下の方にポコッとできた。 左右でバランス取ってるのか。 これも全然痛くもかゆくもない。 そして固くもなく柔らかくもない絶妙な感触で、“まち針”を刺しておくのにちょうどいいかも、とワケのわからないことを思った。 しかし何せ場所が場所である。 机仕事で長いこと座っていると邪魔なのだ。そいつに圧迫されて、そのまわりの贅肉やら筋肉やらが窮屈な思いをしているらしく、なんだか 「その辺だけ疲れている」 ような感覚がある。 ええいもう限界だ鬱陶しい、と思い、評判だという皮膚科医院に行ってみた。 看護婦がイケイケだったので、ある種プレイ的要素を想定しながらパンツを脱ぐ。 当時履いていたビキニタイプのブリーフを、ダウンタウンが司会をしていた大晦日特番で野球拳をしていたラサール石井のイメージでスパッとおろした。 髪の毛がくしゃくしゃでDr.マシリトのような先生がウリウリとできものを押す。 パンツをはいて今度はモモのできものもウリウリしてもらい、パンツをはいてイスへ座ると 「取った方がいいんだけどウチでは無理なので紹介状を書きましょう」 と言ってドイツ語らしき文章をスラスラと書き始めた。 後日指定された大きな病院へ行った。 バカだから紹介状を持って大病院へ行くなんてちょっとカッコイイと思った。 大柄で、ハゼドンに出てくるプーヤンのような顔をした先生が紹介状を険しい表情で見ている。 バカだからマシリトからは 「手術しないと」 という事以外詳しいことを聞いておらず、すごく不安になった。 しかし先生は相変わらず眉間にしわを寄せたまま、沈痛な面持ちで衝撃的なことをおっしゃった。 「これ字が汚くて読めませんねえ」 マシリトが持たせてくれた紹介状には、陰毛を貼り付けた様な字がのたうち回っていた。 「これはねえ、モモのもお尻のも“ふんりゅう” と言います」。 と言いながら先生は紙に 「粉瘤」 と書いた。 なんでも、本来は毛穴から出ていかなければならないはずの老廃物が外に出られず、それが溜まって球状に固まってしまっているものらしい。 「この日かこの日で手術しましょう。 1週間ぐらい入院かな」 1週間仕事を休める時期を狙い、「送っていくぞ」 という父親の親切をぶっちぎって自分の運転でプーヤン先生のいる大病院へ行った。 大人だから。 すると 「リバちゃん!(←実際は本名に由来するあだ名で呼ばれた)」 と話しかけてくる看護婦がいる。 それは小中学校の同級生だった。 物心ついて初めての手術・入院だ。 多少は心細かったところへ同級生、しかもナースの登場で勇気づけられた。 諸々の手続き、検査を終えて手術室へ入る。 人間ドックとかでもよく見る薄緑色の服の下に身につけているのは 「T字帯」 というフンドシのようなものだけである。 手術台に上がる時には、ショッカーに改造される時の本郷猛をイメージしたのだが、あいにくうつ伏せでちょっとつまらなかった。 局部麻酔。 効き具合を確かめるために尻をツンツンされながら何度も「これ痛い?これ痛い?」 と聞かれる。 答えるのがだんだん面倒になってきて、多少まだ感覚があるのに 「ダイジョブです」 と言った。 できものの辺りを触られている。 これだけふんだんに下半身を触られるなんて、一度だけ連れて行ってもらった新宿2丁目の店以来である。 メスを入れる場所に目印でも書いているのか、指よりも細いものが尻を這って、やがてメスが入ったのがわかった。 意識があるどころか頭の方は全くノーマルな状態で、プーヤンとナースのやりとりは全てハッキリ聞こえている。 なのに鋭利な刃物で我が身を裂かれても痛くない、というのは新鮮な体験だった。 「うーん・・・」 プーヤンが困ったなあという声を出して手が止まった。「これ邪魔だなあ、取っちゃいましょう」。 プーヤンの指示でT字帯がハラリと外された。 今まで私は手術室の方々にいわば半ケツを言い渡していたワケだが、ここで晴れて“でんぶ”公開された。 お尻丸出しでナースがまま、である。 40分ぐらい経ったろうか、普段触っていた時は浅田飴ぐらいの大きさだと思っていた粉瘤は、取り出してみたらピンポン球よりも少し小さい程度だった。 普段の出っ張りは氷山の一角に過ぎなかったのだ。 こんなものが入っていたらそりゃあ邪魔なはずである。 感覚はまだ鈍いままでも、すごくスッキリしたような気がした。 プーヤンが傷口をさささっと手早く縫っていたような気がしたので、由利徹の名人芸 「花街の母」 を思い出した。 (つづく) |