ずいぶんとご無沙汰したまま、年が明けてしまいました。
年末から年始にかけてはアキバにも行かず、ずっと家でエロ小説ばかり書いてました。その間は常にエロ文章ばかりが頭の中にあって、食事の時も風呂に入るときも常にエロシーンの事ばっか。前と後ろどっちの穴に入れるとか、中に出すとか、そんな事ばかり考えてます。
さて、近頃自宅に引きこもって仕事をしているのでアキバのネタが入ってきません。
なのでちょっと暗い話になりますが、今話題となっているニート予備軍だった私の思い出を書こうかと思います。
中学2年生から3年の間、私は学校に行きませんでした。当時、引きこもりという言葉もニートという言葉もなく不登校児と呼ばれていた私の話です。
当時中学生だった私は頭は悪かったけど、中学2年生までは真面目に学校に行く生徒だった。だがある日を堺に、私は学校に行かなくなった。原因は私が授業についていく事が出来なかった事や、人間関係だ。
恥ずかしい話だが、私は中学に上がってもまともに九九も言えず、漢字も書けず、ローマ字の大文字と小文字の見分けさえつかないバカだった。そしてそれを補える豊かな人柄もなく口下手だった私はすぐにイジメの対象になった。それも学校でイジメられている男子からイジメられるという、もう逃げ場がない最低ランクだった。
学校に行かなくなった日の事は今でも覚えている。
あれは中学2年の夏前にあった3泊4日の林間学校の登校日の日。
友達と一緒に重たいリュックを背負って登校している途中に、これから朝も夜も学校と同じ生活を強いられるかと思うと吐き気がして「もう学校いきたくない」とそのままUターンして家に帰った。
もちろん自宅に帰ってきた私を見て、母は驚いてすぐに学校に連絡し、しばらくして担任と学年主任の先生が私を迎えに来た。
その時の状況はすさまじくて今でも忘れられない。。
「とにかく行こう」と無理やり私の腕を引っ張る数人の先生に、泣き叫ぶ私。そしてその横で泣きながら「もうやめてくれ」と土下座する母。
当時は丁度不登校児が増えてきていた頃で、私のクラスではすでに3人ほど不登校児がいた。なので先生達も必死で私を学校に連れて行こうとしたのだ。
結局出発の時間ギリギリまで粘り、私は林間学校へは行かず、「夏休みが終わったら来なさい」という先生の言葉も無視し、私は引きこもりの生活に入ったのだった。
引きこもりの生活というのは実に単純だった。
昼間起きてテレビを見ていると学校から連絡が来たり、テレビの教育番組を見て「自分が学校に行っていなくて、取り残されている」と思ってしまうので、電話線を抜き取り、そのまま夕方まで寝るのだ。
そして夜になって活動をはじめ、ワープロをひらがな入力で小説を書いたり、毎晩深夜に放送される古びた映画を見る。それだけの生活だった。
たまに学校からクラス全員の手紙を先生が持ってきたが私はそれを読もうとはしなかった。 所詮、担任に無理やり書かされた手紙になど本当の事など一文字も書かれていないのが分かっていたし、今までいじめてきていた子がそ知らぬ顔で「学校は楽しいよ。待ってるよ」と書いた文章を見ても気分が悪くなるだけだと思っていた。
とにかくその頃は、誰も信じられなかったし、自分を守る事で精一杯だったのだ。
2年の冬になると、進路相談が始まり、放課後に母と二人で学校に行った。
放課後、他の生徒達はいなくてホッとし、私は自分の教室の自分の席に座って進路相談を受けた。だけどなんとなしにその自分の机の下の棚を手で探っていたら色々な物が中にあった。 給食のジャムや、かみ捨てられたティッシュ。ぐちゃぐちゃのプリント。
それらを手でさぐる私に担任は最後に「みんな待ってるから、三年からでもいいから学校においで」と言ったのだ。
それを聞いて、私はそのまま自分の机を横に蹴り倒した。
口下手な私は怒鳴る事も出来ず、ただその机を倒して教室から飛び出すことしかできなかった。母が必死に担任に謝っている声が聞こえたけど、そのまま無視して自宅へ帰った。
自宅に帰って、なんであのまま怒鳴ってやらなかったんだろうと後悔して泣いた。
とにかく、あのころは喋る事が大の苦手だった。
つづく