「第八回」

 学校での三社面談の一件以来さらに中学校が嫌いになった私は、窓のカーテンすら開けない生活を送り始めた。
 引きこもりの生活。それは大きな喜びのある生活ではなかったが、誰にも邪魔されない穏やかな時間だったとも言える。
 時間に規制されず、好きなだけ絵を書いたり文章を書いたり。自分の顔や性格などで誰にもいじめられる事もない生活は、当時の私にとっては幸せな時間だった。
 毎日好きなだけテレビや映画を見ることができ、その中でも一番好きだったのが一日の放送を終了した後のテレビ画面。
 放送終了後と言っても砂嵐などの画面ではなく、当時は海外の町並みを走る車からの映像が延々と流れていた。ネットが普及した今はそういう映像はライブカメラなどで見ることができるけど、当時の私はその不思議な映像に魅力を感じていた。
 じっとその景色を見ていると、自分がその国にいるような錯覚にとらわれ、そこでの生活を想像する事ができるのだ。誰にもとがめられず、いじめられず生活をしている自分を空想している間はとても幸せな気分になれたし、何時間でもその画面を見続けることができた。
 だけど両親から見たら、ただの風景の画面を見ている私の姿はよほど病的だったらしく、カウンセリングを受けるように進められ、私はもちろんそれを拒み、両親との仲は悪化していった。
 そんな日々がしばらく続き、あと二ヶ月で三年生への進学を控えたある日。両親から「特殊学級」へ通わないか? と言われた。
 特殊学級――それは、当時急激に増え始めた不登校児の為の臨時の学校みたいなもので、通う学年は小学1年生から中学3年生まで様々。通う子達もイジメなどに合っている子ばかり。でも私は、「特殊学級なんかに通ったら、私はいよいよ学校に行けない哀れな子みたいじゃないか」と拒んだ。
 おかしな話だが、当時の私は自分がいじめられている事は分かっていたけど、それを他人の前で認めるのだけは嫌がっていた。
 自分がいじめられているというのを人に知られるのはすごく恥ずかしいと思っていたので、あくまで「自分が学校を嫌っている」と主張する、変にプライドの高い女の子だった。