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板谷くんと私
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「ゲッツさんって、どんな人ですか?」 最近、よく聞かれる。 「あぁ、あの人・・・ん〜、天才やねぇ・・・。」 だいたい、私はこう答える。ホントにそう思う。 相手は、安心したような、妙に納得したような顔になる。そして、どんな風に天才なのか、次の言葉を待つ・・・。 当たり前だ。『天才』という言葉はこの場合、フリなのだ。次に、凄い「決め球」を投げますよ〜。ハイ、待ってますよ〜。という自然な空気が出来上がってしまう。期待して当然である。しかし、ここから私は、急にシドロモドロになってゆく・・・。 (えーっと、何がどう天才やったっけ? 板谷君の天才たるゆえんは・・・いやややっ、いっぱいあるはずだ! 板谷家のトイレの便座が、彼の体重のせいで、いつも壊れてるとか・・・いやっ、違うっ! そんなの天才じゃないっ! ただの巨漢エピソードやん! もっと他にっ! なんかあるやろっ! なんかぁぁぁっ! あるっ! あるっ! いっぱいあるっっっ! あるとばってん、・・・生半可なエピソードでは、相手をがっかりさせてしまうっ・・・。えっ? なっ、なんなんだっ、この沈黙は? おっ、俺が悪いのかっ? 間違いなく、俺が悪いなっ! どうする? どうするんよーっ、オレーッ!!!) 「なっ、ぺぺぺっ・・・あのっ、彼って、ケッ、ケイタイのリダイヤルが出来ないんですよ・・・あヒへへえっ。」 結局、こんな事しか言えない・・・(死ねよっ!)。板谷くんが、ケイタイのリダイヤルが出来ないのは事実だが・・・それがっ、そんな事がっ『天才』の理由かよぉぉぉっ? 全然ダメだっ! もっと、相手の両方のモミアゲが、瞬時に抜け落ちるぐらいの、衝撃的なエピソードを言わなければぁぁぁっ! で、・・・彼の突き抜けた天才ぶりを、初めて肌で感じてプルプル震えた体験談を思い出したので、これからここで紹介するっ! させてもらうっ!! 阿佐ヶ谷美術専門学校。ここに板谷くんと私は、同時に入学し、同じクラスになった。私は高校を1年留年したため、大体の生徒より1歳年上だった。板谷くんは、そんな私より、何故かもう1コ年上で、気軽には話しかけづらく、最初は敬語を使っていた。 彼の周りには、いつも取り巻きが出来た。その中心でバナナの叩き売りの勢い、そのまんまで、気がすむまで彼はしゃべくり続けた。それが一通り終わると、授業中でもスーッと帰っていった。彼が専門学校に、何しに来ているのか、さっぱり分からなかった。私はそんな板谷くんを、取り巻きの外側から、眺めているのが楽しかった。 自然に、ホントに自然に、いつの間にか、板谷くんと仲良くなっていた。なんか、キッカケがあったはずだが、・・・思い出せない。たぶん、大した事ではないのだろう。 彼と仲良くなると、私の東京での生活は一変した。今まで縁のなかった六本木へと繰り出す。徹萬どころか、誰かが倒れるまで麻雀をやる。合コンにも誘われる。もちろん立川へも行くようになった、私は、阿佐ヶ谷に住んでいたので、中央線で1本というアクセスも良かった。金はなかったが、それでも充分楽しかった。課題に追われる毎日だったが、別に将来の目標なんか何もなく、その日の快楽を追い続けた。それでよかった。その時、どうすればいいかなんて、若い時分には分からないものだ。(実は今でも、分かってないんだが・・・) 阿佐ヶ谷美術専門学校にはグラフィックはもちろん、デッサン、イラスト、編集、プロダクト(工業製品)、などの授業がある(たぶん・・・)。私にはどれもつまんないものだったが、写真の授業だけは別だった。現像液の中で、印画紙の上にモノトーンの「何か」が浮かび上がってくる瞬間がたまらなかった。出来上がった写真を眺めては、自画自賛していた。 板谷くんといえば課題の度に、得体の知れぬ妖怪のイラストばかりを描いていた。私は彼が、なんでそんなものばかりを描くのか、不思議でしょうがなかった。出来上がると、得意気にそのイラストを私に見せた。しかし、私はその妖怪のイラストに、なんの興味もわかなかった。むしろ、そんなものばかり描いてしまう、板谷くんが少し怖かった。 そんな学校生活も1年目が終わろうとしていた。この時期になると、進級できるかどうかの大事な授業・課題が目白押しになる。 そして遂に、最後の写真の授業で、最大のイベントがやって来た。写真スタジオを借り切って、女性モデルの裸体を撮影するのだ。 2人の女性モデルが、スタジオ入りした時には、我々の興奮は最高潮に達していた。 「よおぉぉぉぉぉしゃっ!」 板谷くんも私も、この時ばかりは阿佐ヶ谷美術専門学校に入学したことを、心から喜んだ・・・。 <つづく> |
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ケンちゃんの作業場。手彫り看板が、仕事のていねいさを物語る。 |
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キャームに、火縄銃の打ち方を、レクチャーするケンちゃん。この2人、何を企んでるんだか・・・。 |